五山送り火はいつから始まった?それぞれの文字の由来を解説

2023年6月5日

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五山送り火については、いつから始まったものか実際には定かではなく、諸説あるため、どれが真実かは不明です。

 

 

今回は、五山送り火はいつから始まったのかを、それぞれの文字の由来から掘り下げてみたいと思います。

是非最後までお付き合いください。

 

 

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「大」について

大文字山で点火される5文字の中で最も有名な「大」ですが、平安時代、大文字山のふもとにあった寺が大火災になり、阿弥陀仏が山上で光明を放ったという話から、これを真似て、年中行事として後世に残そうと弘法大師が始めたという説があります。

もちろん、当時はまだ五山送り火とは言われていませんでした。

この文字には、室町時代に足利義政が応仁の乱により荒廃した京都に蔓延る怨霊を鎮めるために始めたとされる説、江戸時代に始まったとされる説など様々あります。

弘法大師の説が比較的、広く知られているようですが、色々な文献を見ると、比較的あとに始まったようで、そうなると足利氏の説が強いのかとも思われます。

学識のあるかたの中では、後者の足利氏説が有力なようです。

ちなみに、この文字に関しては、送り火の前日午後、当日午前中は銀閣寺で一般の方からの護摩木を受け付けています。

五山送り火観光の際は、足をのばしてみてもよいかもしれません。

 

 

「妙」「法」について

五山送り火のうち、松ヶ崎西山の「妙」は鎌倉時代末期に日蓮宗の僧が「法華経」の題目唱和である「何妙法蓮華」の題目から西の山に向かって「妙」を書き、それを元に地山で山に点火を始めたのが最初と言われています。

松ヶ崎東山の「法」は江戸時代初期、西側にしか送り火がなかったため、東の山に向かって「法」を書いた僧がいたと言われています。

途中で起源とされる僧が改宗したと言われており、「妙」は草書体、「法」は隷書体でありその違いと示すとする説もあるそうです。

実際には見てもあまり違いがわからないのですが…。

この2文字について、前日の夜、当日は湧泉寺で踊りをされているそうです。

点火の際には、読経もあるそうですね。

踊りに関しては京都市登録無形民俗文化財のため、いちどは見学させていただくのもよいかもしれません。

「さし踊」というものだそうです。

 

 

舟形について

これは文字ではないのですが、西方寺をひらいた慈覚大師が唐での勉強を終え帰る途中に大嵐に遭ったが、南無阿弥陀仏を唱えて無事に帰国できたということ、その船を模っていると言われています。

そのため、帆掛け船のかたちをしており、西加茂船山で点火されます。

なお、延喜10年(910年)に蔓延した疫病の供養という説、精霊流しの船を模したという説など、これにも多くの説があります。

 

 

鳥居形について

これも文字ではないのですが、さらに、これも弘法大師が起源とされる説があります。

これは石仏千体を刻んで開眼供養と営んだ際とも言われています。

他に伏見稲荷神社の灯明として焚かれたという説もありますが、鳥居の形から愛宕神社との関連もあるとされています。

いつからか、愛宕神社説が最有望です。

曼荼羅山で点火されます。

鳥居だけ、最初から準備をされておらず、合図に合わせてたいまつを持って走り、各火床に突き立てるスタイルです。

このため、油分の強い松材を使用することから他の文字より火が赤く見えることは有名です。

 

 

左大文字について

大北山で点火されますが、唯一、具体的な歴史やいわれがない文字です。

書物や絵巻物の中には、これが欠けているものもあり、いつから始まったかも謎です。

 

 

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五山送り火はいつから始まった?それぞれの文字の由来を解説【まとめ】

結局、五山送り火については歴史的資料も少なく、現在も研究されているかたは多いようですが、いつから始まったのか、どの説が事実かは今となってはまったくわからないですし、最も古い資料は慶安時代のものだそうですが、それも信憑性があるわけではありません。

ただ、お盆に地上に戻られた精霊を冥界へ送る、つまりあの世への戻り道を明るく照らし、ご無事に戻っていただけるようにする仏教行事なのです。

これからも、先祖の霊を見送りつつ、夏の風物詩として楽しんでいくことでよいのではないでしょうか。