五山送り火「大」の意味とは?最もミステリアスな由来を解説

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京都五山送り火と言えば、毎年8月の恒例行事で「大文字焼き」は五山送り火の中でも特に有名ですよね。

他の文字やかたちは言えなくても、これだけは知っているというかたもおられると思います。

そんな「大」の文字ですが、どんな意味や歴史があるのでしょうか。

 

 

実は起源、歴史などについては定かではありません。

京都にお住いのかたや、研究者の中でも様々な説があり、はっきりとしたことはわかっていないのです。

京都のお盆の風物詩である五山送り火ですが、特に「大」には謎が多いのです。

「大」の起源ついては大きく3つの説がありますので、順にご説明しますね。

 

 

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平安初期起源、空海の説

平安時代初期、弘法大師(空海)が大文字山(如意ヶ嶽)山麓の浄土寺が大火災に遭った際、本尊・阿弥陀仏が山上に飛翔して光明を放つのを見て、それを後世に残すために光明に近い放射線状に近い「大」を書いたという説。

ただし、この説は記録になく、時代的にも信ぴょう性が薄い説となりますが、弘法大師説については、さらに複数あり、火災ではなく世に疫病が蔓延した際に弘法大師が如意ヶ嶽に登って護摩を焚き祈りをささげたという説もあります。

さらに、中国の唐の時代に、字舞という雅楽があり、その中で火を使い文字を表したのを模したという説もあります。

弘法大師説は時代的には微妙なのですが、多岐にわたります。

 

 

室町時代起源、足利義政の説と江戸時代初期起源、能書家近衛信尹の説

室町時代中期、足利義政が近江の合戦で戦死した息子の義尚の冥福を祈るために始めたとされる説があります。

現在はこの説がもっとも有望とされています。

江戸時代初期起源、能書家近衛信尹の説については、現在、書物が発見されており有望視されていますが、足利説と同じくらいのようです。

 

 

現在の五山送り火に至るまでは?

色々な説がある五山送り火の「大」ですが、説どころか時代もよくわかりませんね。

ただし、江戸時代前期の公家・小槻忠利の書物に五山送り火を観たとの記述があります。

さらに、それより前の書物には複数、「山々の万灯篭を見た」という記述があるそうです。

その古い内容自体は如意ヶ嶽の送り火と書かれていませんし、「大」の文字とも書かれていないのですが、祖霊を浄土へ送るお盆の時期の行事として、山に登って火を灯すという風習がかなり前からあったようです。

つまり、中世末期には現在の五山送り火の前身となる風習自体は出来上がっていたと考えられます。

 

 

五山送り火「大」の意味とは?

この「大」については、他の文字や形に比べて意味も諸説あり、どれが正しいかわからないのが実状です。

例えば、大の字型に護摩壇を組んでいた弘法大師(空海)に由来。

最初は「大」ではなくもともと悪魔退治、怨霊退治のための星をかたどったものだった。

「大」=「一人」と書くことから「大」を人形に見立てて無病息災を祈った等々、本当に様々な仮説があります。

五山送り火の中で最もミステリアス!なのではないかと思います。

 

 

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五山送り火「大」の意味とは?最もミステリアスな由来を解説【まとめ】

五山送り火の「大」には本当に色々な意味、由来の説があり、事実も含まれているかもしれないのですが、実際のところは誰にもわからないので、すべて違うかもしれません。

五山の送り火自体が宗教的行事なので、あまり記録されていないというのは間違いないようです。

だから、あえて文献として残していないという見方をされる有識者の方もおられ、それはもしかするとそのとおりなのかもしれません。

本当に謎が多いのですが、ただひとつ言えることは先祖を浄土に送るため、それは疑いの余地もありません。

ちょっとミステリアスな五山送り火ですが、色々なことを想いながら観るのも悪くないかもしれませんね。