五月人形の上杉謙信の意味は?その人気の理由と人柄についてご紹介
男の子がいる家庭では毎年5月5日は、かつての武将が着て戦場を駆け巡った鎧兜をモチーフにした五月人形を飾って、その健やかなる成長を祈願するものです。
そんな、五月人形のモチーフになる武将は、上杉謙信・伊達政宗・徳川家康・真田信繁など有名な武将が多いといいます。
しかし、そんな武将の中でも最近は上杉謙信の鎧兜をモチーフにした五月人形が人気だそうです。
なぜなのでしょうか。
今回はそんな、五月人形でも人気の武将、上杉謙信について解説します。
Contents
五月人形でも人気!上杉謙信公とはどんな人物?
さて、上杉謙信公とはどのような人物なのでしょうか。
五月人形で非常に人気の武将なので気になるところです。
本項ではそんな上杉謙信についてご紹介します。
幼いころから文武両道
上杉謙信公は幼名を「長尾虎千代」といいって「長尾為景」の末の子として誕生しました。
幼いころからわんぱくで、武勇の際もあったといいます。
また、勉学の才もあり、まさに文武両道であったようです。
若くして才覚をあらわす
そんな虎千代は15歳で元服し「長尾景虎」と名乗りました。
その後、若干22歳で、当時情勢がとても不安定であった越後の国を統一。
その後も、多くの戦いで武勲を上げ、上杉謙信公は「越後の龍」として畏怖の対象となりました。
強くて義理堅い人物、上杉謙信公
また上杉謙信公はとても義理堅い人物として有名です。
それは歴史書にも示されております。
「白川風土記」という当時の書物には、「欲のために戦いはしないが、道理があれば誰へでも手を貸す」という言葉が残されていて、優しい人物であったことがうかがえます。
さらに、卑怯なことが嫌いであったことが「敵に塩を送る」ということわざにも残されています。
これは、当時敵対していた、武田信玄が苦境にあった際に、対等に戦いたいという思いから、上杉謙信公が支援したという故事からきたことわざです。
まさに義に厚い素晴らしい人物だったのです。
五月人形の上杉謙信の意味は?
上杉謙信公がどのような人物なのかわかっていただけたと思います。
ここまでで、十分上杉謙信公が五月人形のモチーフになっている意味が分かっていただけたと思いますが、本項ではその点をまとめていこうと思います。
その生きざまは男子の理想、上杉謙信公
前項で見てきた通り上杉謙信公の生きざまはまさに男の子の理想です。
文武の才に秀で、若くして、数々の武功を上げ、義理と人情に厚く、卑怯を嫌うというその人柄にあこがれを抱かない人はいないでしょう。
上杉謙信公の生きざまから考える端午の節句の意味
端午の節句というのは、「男の子の健やかな成長と将来の活躍を願う行事」です。
そして、この端午の節句は「邪気払い」や「災厄の身代わり」という意味もありましたが、近年では、験担ぎや出世の象徴としての意味合いが色濃くなっているのも確かです。
つまり、上杉謙信公がモチーフの五月人形を選ぶ意味というのは、男の子が「上杉謙信公のように立派な人物に成長してほしい」という願いが込められているのです。
上杉謙信公の兜の意味とは?
最後に上杉謙信公の兜に込められた意味についてご紹介します。
戦国時代の武将の兜には、頭を守るという目的とともに、周囲に対して目立つためという意味もありました。
そのため上杉謙信公の兜は、今までに見られなかった、三日月と日輪の両方がついた兜が採用されました。
どうして、このモチーフなのかと言いますとその意味は、三日月と日輪は当時上杉謙信公が信仰していた「妙見信仰」に教えである「太陽と月」を意味しているのだそうです。
これは妙見信仰の仏神である、「摩利支天」を表しており、「勝利や護身」の意味があるとされています。
以上のような思いが込められた兜はまさに端午の節句の願いそのもので、五月人形のモチーフとしては最適なのです。
五月人形の上杉謙信の意味は?その人気の理由と人柄についてご紹介【まとめ】
今回は上杉謙信公がモチーフの五月人形についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか。
上杉謙信公のやさしさ、義理堅さ、人情。
男の子にはそのように育ってほしいという願いが込められた五月人形というのはまさに親の愛が詰まっているということです。
是非この記事を参考に、五月人形を選んでみてください。
あなたの思いはきっとお子様にも伝わります。